サンサンコーナー
不動産のお話し 最近の住宅事情
最近の住宅事情を見ると、大都市圏の住宅価格が高騰しています。特にアメリカでは、ニューヨーク、マンハッタン地域における2ルームの賃料は、一月5,000ドル~8,000ドルまで高騰し、マンハッタン地域の住民は非常に困っているというニュースを見ました。1ドル160円換算で80万円~128万というから驚きです。これを部屋の種類に応じて、シェアするという訳です。2ルームを2人でシェアする場合でも月40万円となります。こんな賃料をアメリカ市民が払っていけるのでしょうか?余程の収入がないと借りられない状況となっています。
それでは東京はどうでしょうか。今日本では、人口減少が進んでいるにもかかわらず、東京の人口は増え続けています。そのため東京の地価は上がり続けています。そのうえ建築費が異常に高騰し、一般的な木造住宅で坪110万は下らなくなってきているようです。ということは、3LDKの一軒家(約40坪)の場合、建築費が総額約4,400万円となり、それに土地代を1,000万円として加算すると、総額5,400万かかることになります。これほどの金額になると、もはや普通のサラリーマンでは住宅ローンが組めなくなってきているようです。そのため地方での住宅建築やアパート建築が激減しており、住宅会社に大きな負担を強いているようです。
そのうえ東京の住宅価格は、土地や建築費の値上がりにより異常に高騰しています。10年前に買ったマンションが倍で売れたとかいう話も聞かれますが、実際に中古住宅やマンションの価格は異常になってきており、もはや庶民には手が届かない状況になっています。そのため新築物件が激減し、中古物件が見直されているようです。日本では新品を好むという新品主義のため、あまり見向きもされてこなかった中古住宅市場が見直され、価格が高騰しているようです。それに伴って賃料も高騰しており、月額30万とか100万とも言われているそうです。そのうえ金利も上昇しており、今後上昇が続くのではないかといわれています。特に住宅ローンに大きな影響を与えるのではないでしょうか。
さて、我が小松はどうかと言いますと、建築費は異常な値上がりで、坪100万は下らないと思います。土地代は地域によって違いますが、JR小松駅の近辺、半径500メートルぐらいの範囲や、徒歩10分ぐらいの圏内は人気があり、比較的地価も高く維持されているようです。しかしそれ以外の地域になると地価は比較的安定しています。
しかし少子高齢化の影響はジワジワと現れてくると思われます。今全国の空き家は900万戸であり、住宅の約7.2戸に1戸(空き家率13.8%)と言われています。この空き家対策こそが急務ではないかと思われます。しかし、先祖代々からの家なので売れない、自分は住まない、そのうえどんどん古くなり、所有するだけで全く管理をしないほったらかしの家が新築価格高騰の裏に増え続けているのです。相続しない物件が増え、一体この物件の所有者は誰で、責任者は誰なのか?地域の住民どころか、行政すら把握しきれていない状況ではないかと思われます。売ることも貸すこともできない、しない物件が増え続けているのです。このことは日本社会沈滞を促すと思います。ただでさえ少子高齢化によって社会が沈滞するのではと思われる時に、この不動産問題は社会の沈滞に拍車をかけると思われます。行政の対策は、まだまだ周知発信不足なのではないでしょうか?
東京と地方とはいよいよ格差が拡がってきています。今こそ地方を見直す機会だと思います。特にこの小松地区は地震や台風被害などの自然災害も比較的少なく、豊かな自然にめぐまれ実に穏やかな地域です。陸空の要衝であり、東京まで飛行機で1時間、新幹線で2時間半です。こんな交通の便が良く穏やかな地域で、東京と小松の二拠点生活をしながらリモートで仕事をする。ものづくりの精神があり、世界的な建設機械メーカーの「コマツ」発祥の企業城下町であり、歌舞伎「勧進帳」の舞台である安宅の関や九谷焼等文化の調和がとれています。
この環境こそが今求められていることであり、我々小松人は多いに発信していかねばならないのでは!!小松の利点を発信しましょう。 東京人よ 小松に住まおう!
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2026.9.3 | 13:04
不動産投資の実態は Ⅲ 効果について
前回は不動産投資の面白み、危険性(リスク)についてお話ししました。今回は投資に範囲を広げて話したいと思います。広辞苑によると、出資・投資とは、①利益を得る目的で、事業に資金を投下すること、②比喩的に将来を見込んで金銭を投入すること、③元本の保全とそれに対する一定の利回りを目的として貨幣資本を証券化すること等とされています。私は投資とは、効果を期待するものと考えており、この投資をすると、どのようなリターンがあるのか。投資には、ハイリスク、ハイリターンという言葉があり、リスクが大きいとリターンも大きいということです。
ヨーロッパの大航海時代から近世の海洋交易において、船が交易を終えて無事帰ってくると、一航海で大資産を築けましたが、船が難破すると無一文になるという具合でした。それでもヨーロッパの人々は、一大投資をし続け、ヨーロッパに莫大な富をもたらしました。まさにハイリスク、ハイリターンの極致でした。
しかし、投資には銀行等のようにローリスク、ローリターンの業種もあり、長い年月をかけて収益を得ることもあります。すべて今の世は投資と効果なのです。では投資にはどんな効果が必要かというと、それは収益性であり、最も大切なことです。
この投資は利回りがいくらで、何年で回収し、その後どれくらいの年月稼働し、利益を確保し続けることができるだろうかと言うのが収益還元法の考え方です。株式会社等も、この収益を上げる組織の一形態であり、収益を上げることが会社存続の鍵なのです。この収益を上げる為に人々はまず労働力に投資をし、労働力を有効化する為に設備投資を行います。この労働力、設備を集約する為の資金を投資するのが株式投資であり、借り入れするのが、借入金の借入投資です。この投資に配当金というリターン、借入投資には金利というリターンが必要です。この投資とリターンの為に経営という資質が求められます。この配当金利を払う為にどう労働投資、設備投資を生かし、収益を生むか、これが経営の真髄なのです。未来を予測する力、読む力が経営者に求められる最大の資質なのです。
ここで、先日新聞で報道された小松ドームを例にとると分かりやすいのではないでしょうか。小松ドームは、全国的なムードに流されて、一政治家の選挙の公約によって、当時70億円をかけて建設されました。当時の時流に乗り、あらゆる専門家のアドバイスがあったと思うのですが、誰も責任をとる者がいません。当時の政治家は亡くなられています。その中で運営できない市民が、ドームの利点を生かせない、採算が合わない施設を造ったのです。経営的センスの不足した人達の主導のもと、未来を予測できない人達と地元の強い要望によってできたのです。その修繕費用は70億円、解体費用は10億円とも言われています。こんな施設が何故できたのか?それはその時代の為政者に、未来を予測する能力がなかったからです。これが投資に失敗した小松市の実態です。しかし、この投資の失敗は誰も責任をとるものがいない、強いて挙げれば我々市民に押しつけられるのです。このような投資の失敗の残骸は色々と見受けられます。そしてその失敗は未来型図書館という形で再度繰り返されそうです。私たちは、失敗から学んで投資のリスクをいかに低くするかということが大切なのに、その失敗から学ぶことをせず、ハイリスク、ローリターン、いや負のリターンを負おうとしているのです。投資とはいかにリスクが大きいか、そのリスクを排除してハイリターンを期待することが経営です。
ハイリターンとは読書をする市民が多く集うことです。最近は電子書籍もあり、本を手に取り読まない人々が多いとも聞きます。どう未来型図書館を利用し必要な施設になるのか。市民が未来にリスクを負うのでないかと危惧をなくす。そして30年後ぐらいに雨漏り、修繕、運営費用がかさんで、不用になり壊す費用がいくらという話題が小松に沸騰しない為に。
ちなみに私は[小松ドームの危機]を建設する前から声高に言い続けていました。その答えは、「私が施政者でいる間は大丈夫。」でした。 大きな公共投資をする時は、施政者の判断だけでなく様々な思惑を未来に見据えての検討が重要と繰り返しいいます。誰がその投資のリスク負うことになり、責任を他人事でなく取るのかを真剣に伝えてほしいです。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2026.7.2 | 08:53
不動産投資の実態は Ⅱ
20年程前「金持ち父さん 貧乏父さん」というタイトルの本が世界的ベストセラーになりました。その内容を端的に言うと、若い時に賃貸物件を持ちなさい。特にアパートを所有しなさい。借入をしてでも所有しなさい。そうすると20年ぐらい経つと所有する人としない人との差が歴然としてくるという話です。私は38歳の時、不動産業で起業独立した頃から賃貸物件と賃貸管理には、注目し投資し、42年という歳月になります。
きっかけは、起業前に現APAに勤めていた頃、今は亡き元谷外志夫代表のアメリカ視察に同行したことです。アメリカは資本主義の国で、特に不動産に対する考え方、収益還元主義が盛んで、様々な不動産への投資が盛んに行なわれていました。その当時、トランプ氏がマンハッタンのティファニー(宝石店)の隣にトランプタワーを建設し、話題になっていました。これこそトランプ氏が大統領になるきっかけのビルだったのかもしれません。私はそのビルの豪華さに感動し、その後2度ほど訪問しました。この時すでにアメリカでは、「賃貸を制するものは不動産業を制する」と言われていました。まさにその通りで、石川県内においても賃貸、賃貸管理をする者は、不動産業界を牛耳っているように思います。(金沢の大手賃貸業者 クラスコ、アーバンホーム、のうか不動産等)そのうえ、相続対策としてアパート、マンションを建てて経営すると良いということで、大東建託等によるアパート等の建築が急速に行われました。なるほど、賃貸経営は借入して建てるか、購入するかすれば不動産収入が得られ、さらに借入の返済ができれば、その不動産はローン返済後自分の所有となります。老後の安定収入となり、働かなくても時間が経過すれば不動産所得となり、お金持ちになれるということで、所有する人と所有してない人との差が、「金持ち父さん 貧乏父さん」との格差になることを促したのです。
それに触発された多くの人が、貸家、アパートやマンション、ビルなどの不動産経営に乗り出し、実際に成功を収めた方もいるようです。
一方で、失敗された方もいるようです。それは、10年、20年、30年と、投資期間が長きにわたるということです。そのうえ、投資物件が古くなるにつれて、修繕などが多く発生するようになります。その投資物件が将来伸びる地域にあり、値上がりが見込める場合には、とても成功した投資となりますが、地域がよくない場合、建物の老朽化が進むと、取り壊しをしなければならないというお荷物にもなりかねません。
このことで気付くのは、投資物件の立地の重要性です。日本は急速な少子高齢化に見舞われています。これにより居住系の物件は空室が目立つようになってきています。一方、便利な立地、例えば小松だと、やはり一番は小松駅を中心に半径500mの範囲が生活に便利になってきています。何故ならば、脱車社会の到来が身近に迫っているからです。高齢化による運転免許証返納、ガソリンの値上がり等により交通の利便性が求められるようになってきました。昔は広い敷地を求めて郊外へ郊外へと出て行ったのですが、車が運転できなくなるにつれ、駅周辺、歩いて行ける利便性が、良い立地の条件となってきているのです。
そのうえ、東京一極集中に見られるように人口の過密化がすすんでいます。これにより、立地の良いところはさらに良くなり、過疎化が激しい所はますます過疎化するという現象が起きているように思います。ということは、不動産投資には経営的センス、資質が必要だということなのです。この経営センス、将来を展望することができるか否かが成否を分けるように思われます。
働かなくても時間が経過すれば毎月収入があるというのは、なんと魅力的なのでしょう。不動産投資は不確実性、危険と利点があります。不確実性を抑え、利点を伸ばすには経営的感覚が必要なのです。また、うまい話には裏がある、と言われます。うまい話には飛びつきそうですが、ここは、やはり慎重にしなければなりません。このようなときこそ、地元の専門家にご相談頂ければと存じます。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2026.6.4 | 08:38
不動産投資の実態は 1
最近、投資という言葉がマスコミを賑わしています。投資とは一体何でしょうか?広辞苑によると、①利益を得る目的で、事業に資金を投資すること、出資、②比喩的に将来を見込んで金銭を投入すること「息子に投資する」③元本の保全とそれに対する一定の利回りを目的として貨幣資本を証券(株券および債券)化すること、④経済学で、一定期間における実物資本形成と記されています。
私は人類に貧富の格差をもたらした元凶はこの投資ではないかと思っています。原始共産制の下では、能力の差は少なからずあったでしょうが、ほぼ格差のない社会だったと思われます。格差が目立つようになったのは、物の余剰分をストックするようになってきたからだと思います。そのうち所有の意識が芽生えてきます。特に食料の米や麦です。肥沃な土地の所有と経営によって富を生み出し投資して、その富の蓄積が貧富の差となり、また富を投資することによって、より格差が広がっていったように思います。富には色々あり、債券、証券、その他に現金という現代社会にのみ通用するものがあります。他には金等の鉱物がありますが、金は今、異常に値上がりしています。これは金の供給量が限られており、価値が下がることがないという特殊性もあると思われますが、戦争等諸々の情勢が重なり合い、リスク回避を目的として購入された結果の高騰だと思われます。今では、1kg2,600万円前後まで高騰しています。
また米が栽培されてから、農業に投資されるようになってきました。農業への投資を行うことによって、土地の所有者になり、領土争いの元となってきました。江戸時代には、米の収穫高を加賀百万石等のように、石高(こくだか)で表わすようになりました。この米の支配により、支配する者とされる者という立場の違いが出てくるようになり、富の格差が広がりました。それが固定資産税の高騰により、収益を生まない不動産は負の資産と言われるような時代になりつつあります。
今では収益を生むものが投機の対象となってきています。株に投資すれば、配当、値上益、値下げ損のリスクを負うことになります。投資には必ずリスクが伴います。常に利益を上げることは不可能なことを理解していなければなりません。銀行に預金していてもリスクはあります。それは銀行の倒産というリスクです。1990年代後半から2000年代初頭に、日本の銀行ですら多数破綻しました。投資とリスクは必ず相反するものなのです。リスクが大きいものは比較的利益も大きいものが多いようです。必ずしもそうとは限りませんが。
この投資とリスクの関係ですが、投資家はリスクをなるべく小さくし、効果を大きくしようとします。そこに投資の技術があるのです。投資には色々あるということを先程述べましたが、それには様々な特徴があります。現金化し易い、しにくいの二通りに分けると、株式投資、債券投資等は比較的現金化し易く、不動産投資等は比較的現金化しにくい面があります。不動産を賃貸として稼働させると、入居中は毎月家賃を得ることができ、資金計画も比較的し易くなりますが、入居が必ず必要なので、他の投資と比べて入居リスクがあります。私は不動産業を天職と思い事業を42年間行ってまいりました。入居率は97%で、入居リスクの回避は少しはできてきたと自負しています。しかし、日本では少子高齢化社会の到来により、リスクヘッジが大きくなりつつあります。特に小松のような10万人都市では、そのリスクが大きいように思われ、東京のような大都会が一人勝ちになってきているようです。石川においては、金沢、金沢周辺部、特にJR金沢駅周辺の活性化が激しく、リスクヘッジがた易いように思われます。
不動産投資の詳細は次号に譲りたいと思います。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2026.5.1 | 09:14
不動産のおはなし.2
長さの「尺」単位と現代の使われ方
空間とはなんだろう、宇宙のことか?私たちはこの広い宇宙の太陽系の地球という惑星に住んでいます。広大な宇宙から見れば1つの粒みたいな地球に我々生物は住んでいます。この何兆個とある星の中で生物が存在している星は未だ発見されていません。この生物の発生は、あらゆる偶然が重なり合って起こった奇跡と言えます。その生物の中から、人間という生物が突出してきた理由は、知覚を持ち始めたからだと考えられています。知覚から人間は、長さというものを発見・創造してきました。我々が子どもの頃に学んだことは、まず点があり、点の連続が線となり、線が長さの表現となり、線が面を創り出すということです。一次元、二次元、三次元、四次元の世界の発見です。
今の話の根元は、三次元の面の話です。長さはm(メートル)、間(けん)と表現されますが、m(米、メートル)はヨーロッパ、間(けん)はアジア、特に中国で発見され、日本式に改められました。この米四方は、1平方米となり(1m×1m=1㎡)、坪は1間×1間=1坪となります。今では、尺貫法が廃止され、米(メートル)法によって表現されるようになりました。米(メートル)というようになった根拠を私は知りませんが、この根拠を探るのも面白いかもしれません。
坪という単位は、一坪で米一升が生産できることから作られた単位だったようです。よって、米の生産効率が悪い時代には、かなり今より広かったと思われます。今では、1間×1間=1坪となっています。1間は1.812mで、1.812×1.812=が坪なので、平方米を坪に直す時は平方米×0.3025又は平方米÷3.30578で計算すると良いでしょう。私の子どもの頃は3.3で割っていましたが、これでは誤差が大きいため、不動産のプロは3.30578で割っています。銀座の坪1億円のところの誤差は金額に直してみるとよく分かると思います。一度試してみてはいかがでしょう。
さて、一坪で一升の米が生産できることは施政者にとって実に都合の良い測量でした。土地の坪数で収穫高が分かるので、課税し易くしていたのでしょう。江戸時代には5公5民という仕組みがあり、50%の税率を課していました。ひどいところになると7公3民という地域もあったそうです。「これじゃあとてもやっていけない」ということで、一揆を起こしたり、直訴状という訴えを起こしたりしたそうです。士農工商という言葉からも分かる通り、位は侍の次に偉かったのですが、実態はかなりひどく、百姓は生かさず、殺さずという苛酷な課税だったようです。一番下の位の商人が富を蓄え、力をつけていき、世の中を更える力となっていったようです。特に江戸時代になると、富の蓄積が成され貧富の差が拡大しました。昔は山、田などを所有する資産家のことを「高持ち」と言いましたが、その「高」は、収穫高に由来していると思われます。江戸時代に前田氏が治めた加賀藩(現在の石川県・富山県)は、加賀百万石と言われましたが、これは大名の所有領を米の取れ高で量った為と思われます。石は10斗、約180リットル、1斗10升18,039リットル、1升は1.8リットル、1升は坪にできる米の量となる訳です。昔は米によって経済が成り立っていたので、米の重みは今の比ではなかったと思われます。侍の給料も米によって支払われていたので、その重要さは計り知れないものがあります。石=10斗、斗=10升、1俵=4斗、1升坪でできる米の量で、これを少し覚えておくと不動産のことが少し分かって面白いかもしれませんね。
不動産業は、土地面積を平方米・坪で表わす慣習になり、平方米いくら、坪いくらという具合に量計しています。公の発表によるものはすべて平方米換算で表記されていますが、昔からの不動産業は今も坪換算になじんでいるようです。
今回は尺貫法について話しました。
【尺貫法(しゃっかんほう)1958年廃止】
| 長さ「間(約1.82m)」「坪(約3.3㎡)」
1寸(すん)=3.03cm 一尺(しゃく)=30.3m(10寸) 一間(けん)=1.82m(6尺) 面積1坪=3.31㎡(1間×1間) |
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2026.3.30 | 14:04
不動産のおはなし(1)
不動産業は生活産業
私は大学卒業後、仕事で独立したい夢をもち、会計事務所に勤め始めました。家は父が残してくれましたが、ほとんど財産もなく、徒手空挙で税理士免許を取得しようと考えたのです。それから、伊藤会計(現 村西会計
)で7年間お世話になり、税理士試験に挑戦したのですが、残念ながらはね返されました。これが最後の挑戦と、6月に退職し、6月、7月と1日16時間、猛勉強しました。5科目のうち2科目ぐらいは合格できるのではと思いましたが、1科目(簿記論)のみに終わりました。もうこれ以上は受験しても無理かと思った頃、元谷外志雄氏が代表を務める信金開発㈱(現アパ)から誘いがあり、入社しました。これが、不動産業に関わるきっかけです。
入社早々、不動産業のことは何もわからない私が、いきなり金沢支店長に抜擢されました。10年間、1日16時間、年10日程の休日で働き続けました。元谷外志雄代表には厳しく仕込まれ、毎日1時間ぐらい怒られて、朝8時から夜の12時ぐらいまで働きました。
私はその頃から不動産業は自分によく合い、天職のように感じ始めました。仕事が辛いということはなく、「仕事が楽しみならば人生は極楽だ。仕事が義務ならば人生は地獄だ!」という諺(ことわざ)に励まされ10年間無我夢中で働きました。
ちょうど勤続10年の頃に転機が訪れました。それは、私の同級生が脳梗塞になり、半身不随になったことでした。私もこのままでは必ず身体を壊すだろうと思い、非常に悩みました。このまま会社に残ろうか?それとも独立して一から出直そうかと迷いましたが、独立して夢を叶える方が勝り、そちらを選びました。私が38歳の時です。
不動産業は自分にとり天職ですから、アパを退職した時に身体からストレスがフーッと抜けるように一気に身が軽くなり、実際体重も82kgから76kgほどに減りました。
そして、「先義而後利者栄」損得より義を重んじる経営方針で、今年で42年になります。独立してからは以前の営業活動を反転させ、欲しいお客様に不動産を買ってもらう、買うというまで待つ方針に変更してまいりました。
何故かと言いますと、不動産はお客様の為にある、お客様に生活を楽しんでもらう為にある、その為にはお客様に喜んで買ってもらうことが必要なのです。賃貸業・管理業も同じです。不動産はお客様が人生を楽しむ手段なのです。ですから、お客様に納得してもらう、喜んでもらう、お客様に満足してもらうことが1番なのです。そういう意味で、「不動産業は生活産業」なのです。
お客様に満足な生活をしてもらう為にはいかにすべきか?どのようにアドバイスしていくか?コンサルタントしていくかを常に考えていかねばならないと思っています。店は、お客様の為にある。いかにお客様が入りやすいか、相談しやすいか、お客様に安心感と安らぎを与えているか、等を常に考えていかねばなりません。その為に清水不動産サービスは存在していると言っても過言ではないのです。
今後も不動産業を浸透させ、いかにして、石川県の南加賀地区の皆様にとり、より安心の暮らしの為に何が大切であるのか?
常に私は考え、社員と共に行動していかねばならないと思っています。
人生の師である 故 伊藤貞之先生、故 元谷外志雄会長に感謝と哀悼の意を表します
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2026.3.5 | 14:41
新年のご挨拶を申し上げます
本年は丙午(ひのえうま)で60年に1度巡る干支です。
昔の逸話で女性に関する迷信に、今はとらわれることもありません。
午(馬)は人と親しい家畜として何千年もつき合い、今では乗り物としては自動車に替わりました。午(馬)の能力は素晴らしく元気よく前進する象徴のようです。
モンゴル高原を闊歩してモンゴルの世界征服にも一役を買った程です。
また話は変わりますが、近年、夏は暑さが長引き異常に感じられます。
日本の良さは四方を海に囲まれ春夏秋冬の四季があり、立地と気候に育まれた日本人の気質が素晴らしいと思います。
我々はこの国の良さを再確認し、平和・平等・差別の無い社会を、世界に発信していきたいものです。
本年は日本人としての誇りを持ち、自信を取り戻す1年にしようではありませんか。
清水グループも創立42年を迎え、社員一同駿馬(しゅんめ)のごとく、飛躍の1年になるよう力を注ぎます。
お客様の為の店づくりに精進し、社会に貢献したいと思います。
本年も変わらぬご愛顧をよろしくお願いいたします。
ラブ小松!不動産遊民 清水不動産サービス
都市研究家 代表 清水 亮一
2026.1.8 | 14:23
「こうすれば…ああなる」
先日、高市首相の衆議院予算委員会での発言を聞きました。その中である党員が、台湾有事の際はどうするのかという主旨の質問を何度も繰り返したので、首相も日頃の言動の通り、「台湾有事は日本の存立危機事態になり得る」と明言しました。歴代首相は明言を避けてきましたが、今回高市首相が初めて明言したことで大騒ぎとなっています。
私はこのやり取りを聞いていて、公の場で国会議員たる人がなんと愚かな質問をしたものかと思いました。政治は明と暗に分けられ、この有事に対し旗色をはっきりさせることは、暗の部類に入り、どの国もそれをはっきりさせないで、うやむやにしておきたい部分だと思われます。その暗の部分を明の部分にさらけ出すように仕向けたことは、その政党の稚拙さを如実に表したものだと思ったのは私だけでしょうか。
友人関係でさえ、あの人を好きか嫌いかの旗色をハッキリせよと言われても、なかなかハッキリできないのに、国家同士でその仲をハッキリさせよというのはどう考えても拙い質問としか言えません。しかし、他の国の差し金で言わされていたとすれば、国賊であり、日本国民を代表する議員の資格はないと思われます。
これが表題の「こうすれば」になる訳です。では、「ああなる」はどうかと言えば、その反対立場の国から厳重な抗議がきて、国民の訪日を控えさせる、交流を途絶えさせるという反応になっています。「こうすれば…ああなる」ということが読めない場合は、無風の所に波風を立たせ、結果として何億という経済的損失、そして国家同士の争いへとつながるのです。私はこの日本人の外交音痴ぶりを露呈した結果ではないかと思います。
日本は四方を海に囲まれた島国です。この島国で生まれ育った日本人が、自分一人が正しければ良い、自分が正しければ相手も正しくなるという「根性良し」は島国根性そのものです。よって外交の未熟さが世界の先進国の中でも低レベルではないのかと心配になります。その上マスコミの対応といえば、相手国の反応のみを大々的に取り上げ、台湾の反応はほとんど報道されていません。最近のマスコミは偏って煽るだけで、事実を公平に扱っていないように感じます。公平な報道こそが求められます。
また、有事に対する高市首相の正直な回答にも残念さを感じます。正直であれば良いという正義感だけでは、国の将来の運営が出来ないのではないかと思われます。「こうすれば」「ああなる」ということが如実に表れています。戦争を止めよう!の訴えだけでは戦争がなくならないことは、今の世界が証明しています。我々は、「こうすれば…ああなる」を予測し、争いの種を先につんでおく、未来を想像することこそが大切だと思います。
軍事も外交の手段です。この外交の手段の装備をせよと言っている訳ではないのです。台湾有事の際に、具体的に我々日本国民は何をするのでしょうか?ただ言葉だけの日本人であってはいけないと思います。相手国は日本をなめ切っています。実際、現在の日本は何も装備しておらず、何もできないのです。そんな時に有事なんて、軽々しく口に出さないでほしいのです。
「こうすれば」「ああなる」 先を読んだ政治を。すべての発言をする時は慎重に。
政治家は、もっと勉強をしてください。
国民の暮らしを安心、安定させる事に心血を注いで欲しいと強く訴えます。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2025.12.4 | 11:41
何故、谷川俊太郎、何故、小松
谷川俊太郎さんをご存知でしょうか。教科書にも載っていて、名前は幾度か聞いていても歴史上の人物のように思え、遠い存在なのではないでしょうか。詩作のほか、絵本、エッセイ、翻訳、脚本、作詞など実に幅広い作品があります。
日本の文学と文化に多大な影響を与え続けた第一人者で、作品は英語、中国語など20数か国語に翻訳され、世界中の人々に親しまれています。2024年11月13日に老衰のため92歳で亡くなられました。
有名な谷川俊太郎さんですが、実に小松にはご縁のある方だったのです。きっかけは、1996年にALSで在宅療養をはじめられた西尾健弥さんが、好きな詩人の谷川俊太郎さんの詩の朗読を聞きたいと言われたことからです。榊原千秋さんが、じかにお手紙を書いて快諾頂き、1997年にホームコンサートが実現しました。
そのとき朗読された詩が「魂のいちばんおいしいところ」でした。その後、「生と死の文化を豊かにするコンサート」として、25年以上にわたり小松市内のお寺で10回を超えるコンサートを開催いたしました。西尾さんは、谷川俊太郎さんの詩に励まされ、私達は谷川俊太郎さんと、じかに接する機会に恵まれ、詩の世界、詩の哲学に触れることができました。また、ご子息であるピアニストの谷川賢作さん、詩人の覚和歌子さん、シンガーの小室等さん、木村弓さん、DiVaのまこりんと、実に多彩なゲストを毎回お迎えし、朗読や歌を聞くことができました。時には会食もご一緒することがあり、カラオケで谷川俊太郎作詞の「鉄腕アトム」の主題歌を大合唱したことは懐かしい思い出です。
谷川俊太郎さんはいつも物静かで、気さくでありながら畏怖の念を感じました。人の心の奥底まで見透かされそうな目と、発する言葉からです。圧倒的な力があり、人智の及ばないような雰囲気を醸し出されていました。流石に超一流の人物は違うなと感じました。これは詩を作り続けることによって、透徹した考えに達したからでしょう。その佇まいには、独特の雰囲気、輝きがありました。
詩の朗読が始まると、眼の前にパノラマのように宇宙が、自然が広がるのを感じました。谷川哲学の一端に触れ、自分らしく生きることを学んだように思います。
「ALSの仲間たち」の活動は、「いのちにやさしいまちづくり ぽぽぽねっと」に
なり、「NPO法人ホームホスピスこまつ」に引き継がれています。
小松の街づくりが、障がいを持った子どもから大人、病いと共に生きる人、高齢になっても安心して暮らすことを望む人達のためにも、生かされるよう願います。
私達の心の中で谷川俊太郎さんは生き続けています。
「ありがとう谷川俊太郎さん」としての、これまでの活動は、認定NPO法人取得が出来たことにもつながっています。認定NPO法人取得記念コンサートは、2025年11月3日に無事開催いたしました。今後、仲間たちと共に志を継いで広げられたらと思います。
さぁ小松市民よ、日本の、世界の谷川俊太郎を知ろう、学ぼう、楽しもう、偲ぼうと呼びかけます。
「魂のいちばんおいしいところ」
神様が大地と水と太陽をくれた
大地と水と太陽がりんごの木をくれた
りんごの木が真っ赤なりんごの実をくれた
そのりんごをあなたが私にくれた
やわらかいふたつのてのひらに包んで
まるで世界の初まりのような
朝の光といっしょに
何ひとつ言葉はなくても
あなたは私に今日をくれた
失われることのない時をくれた
りんごを実らせた人々のほほえみと歌をくれた
もしかすると悲しみも
私たちの上にひろがる青空にひそむ
あのあてどないものに逆らって
そうしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2025.11.7 | 08:56
児童文学「モモ」を読んで
最近「モモ」という児童文学を心理学者、河合隼雄氏の著書の推薦で読みました。作者であるミヒャエル・エンデは、ドイツ人の児童文学作家で、「モモ」は1973年日本語訳され絵本にもなり、日本でも100万部以上が売れるベストセラーとなりました。主人公がモモという孤児の少女の物語で、その内容は人類に対する警鐘であり、私が常日頃疑問に思っていることが氷解するような内容でした。
私は最近時間の経過がものすごく早く感じるようになっています。79歳となった今、益々忙しくなったように思えます。それは何故か、効率化・時間の短縮化を目指して、どんどん世の中の変化を自分自身で早くしているのです。そんなに時を効率化しなければいけないのか。その効率化した時間の残りを有効に使っているのか。時間泥棒にその時間を盗まれていないのか。時はチクタクと進みます。時計は人間が生み出したものであり、その時計によって、人間は使われるようになってきたと思います。人類の歴史を振り返ってみると、縄文・弥生時代は悠久の時を刻み、自然の季節に従って人も動物も植物も生きてきたように思います。それが、人間が効率を求め、人間が勝利するように自然を支配し、自分の思い通りに動かし始めた途端、人間が時間に支配されるようになったと感じるのは私だけでしょうか。
それが昭和、平成、令和と年代を重ねるごとに慌ただしく感じられるのです。「人間50年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」の句も、今は100年となってきています。寿命は延びても、その豊かさは本当にその年月にあるのか。現在はないのではないか、と思われます。時々耳にするのが「時間を潰す」と言っている人の声です。私はこの「時間を潰す」と言う言葉が大嫌いです。なんで時間を潰すんや、もったいない、もっとする事が一杯あるやろと言うのが私の素直な気持ちです。余暇を楽しむという気持ちこそが大切なのではないのか。
人間は文化という効率とは反対のことを生み出しています。慌ただしい世の中で、人間は文化を育てています。この文化は、自然が刻む「時」ゆったりした「時」に人間が浸って居られる唯一の手法ではないかと思います。そういう意味で、あらゆる人間に平等に時は流れ、平等に死は訪れます。この貴重な時を潰して良いのか。いや有意義に使うべきです。暇を潰すのではなく、暇「時」を時間泥棒に奪われないで、時間を有効に使うというのは結局自分自身がどう考える事ではないか。
人は何歳迄生きられるかは分かりません。与えられた人生を有意義に生きられたらと思います。有意義に生きるには効率的となるのが良いのか。時間を自分の意思で支配する為にはどうすれば良いのか。などを改めて、「モモ」という児童文学を読み終え考えさせられました。「モモ」を一度、又は大人になって改めて読まれることをお勧めします。
やみにきらめくおまえの光、
どこからくるのか、わたしは知らない。
ちかいとも見え、とおいとも見える、
おまえの名をわたしは知らない。
たとえおまえがなんであれ、
ひかれ、ひかれ、小さな星よ!
(アイルランドの旧(ふる)い子どもの歌より)
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
2025.10.1 | 09:15

